見付宿の本陣は三郎右衛門と孫兵衛の2軒、
脇本陣は問屋場(今の見付宿町)の南側で少し西寄りにありました。
天保年間は建坪104坪当主を新左衛門と言い、石高は4石7斗7升、
家屋は門構、玄関付で間口6間3尺、奥行き20間の規模がありました。
以前は旅籠屋でしたが、文化2(1805)年から脇本陣になったと
古い文書に記されています。
文久年間には大三河屋の屋号となり、総畳数115畳・板敷25畳で
総坪数は123坪になりました。
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見付宿の本陣は三郎右衛門と孫兵衛の2軒、
脇本陣は問屋場(今の見付宿町)の南側で少し西寄りにありました。
天保年間は建坪104坪当主を新左衛門と言い、石高は4石7斗7升、
家屋は門構、玄関付で間口6間3尺、奥行き20間の規模がありました。
以前は旅籠屋でしたが、文化2(1805)年から脇本陣になったと
古い文書に記されています。
文久年間には大三河屋の屋号となり、総畳数115畳・板敷25畳で
総坪数は123坪になりました。